「火の鳥 ヤマト編・宇宙編」手塚治虫
漫画家・手塚治虫の「火の鳥 ヤマト編・宇宙編」の収録作品のうち「宇宙編」は、人間の心の闇を描く。
主要人物の宇宙飛行士、牧村が、異星人で妻のラダを殺して食べるシーンが印象深い。
いわば「人肉食」と言っていい。
「火の鳥 望郷編」で描かれた、生きるための人肉食とは、意味が違う。
小学生の頃に読んで、衝撃を受けた。
ストーリーの概要は次の通り。
未来の宇宙空間で、乗組員5人の宇宙船にトラブル発生。冷凍睡眠中の4人が目覚めると、当番で起きていた牧村が謎の死を遂げていた(ように見える状況だった)。
4人はそれぞれ個人用ボートで脱出。なぜか、牧村のボートも追ってくる。うち2人(猿田、ナナ)と牧村のボートは不思議な星にたどり着く。そして、牧村は過去に犯した罪のため、死ねないまま老化と若返りを繰り返す身体になっていたことが明らかになる。牧村は、かつての赴任先の異星で狂気に走り、異星人を殺しまくっていたのだ───
経緯はこうだ。
かつて異星に赴任した牧村は荒れていた。異星人が牧村の潜在意識を調べたところ、失恋が原因らしいと判明。牧村を慰めようと、異星人の娘ラダが身の回りの世話をするようになる。やがて、牧村がラダに惹かれて、2人は恋仲となり、結婚する───
なぜ、牧村とラダが恋仲になったのか。
ラダの献身的な接し方が牧村の心をとらえたということも、もちろん、あるだろう。
だが、何より、この異星で、ほかに地球人がおらず、牧村が孤独だったことが大きい。
渡辺美里が「GROWIN' UP」で、「ひとりきり 生きてゆけないから 見つめ合える 誰かを探してる」と歌うように(2番の歌詞)、人は一人きりではいられないのだ。
そして、「悲しいね ひとりきり いつだって」(渡辺美里「悲しいね」)なのだ。
狼少女のカマラとアマラのケースも思い出した。
(アルバム「eyes」の30周年記念版には、アルバム未収録だった曲「I'm Free」が、ボーナストラックとして入っている)
(アルバム「ribbon」は、私が大好きな「悲しいね」「Believe」が収録された名盤)
その後、牧村は、心の中のイメージを映像化する「宇宙集像機」を手に入れて、心が揺らぐ。地球にいる失恋相手の女性を映し出してしまったからだ。しかも、映し出した女性は、その場にいるかのように、応答ができてしまう。牧村の心の奥にある願望を投影したものだという、その女性の虚像にそそのかされ、牧村は狂気に走る───
海外で起きた事件が思い浮かんだ。
人工知能のチャットボットにそそのかされて、男性が自殺した事件。
手塚治虫が漫画で描いた悲劇が現実に起きかねないと思うと、ゾッとする。
虚像とはいえ、地球の女性と接するうちに、やはり、ラダは異星人なのだと意識させられたのだろうか。
牧村は、問答無用でラダを射殺し、そして、食らう。
なぜ、食べたのか。
これは「人間」ではない、と思い込みたかったのだろうか。
ジェフリー・ダーマーのような快楽殺人者が、殺した相手を食べるのとは、意味が違うと思う。
「宇宙編」は、牧村の謎が解き明かされた後、猿田の心の闇とナナの悲劇も描かれる。
読後感はずっしりと重い。
同じ一冊に収められた「ヤマト編」は、敵同士の間柄の男女の悲恋。
死ぬ間際に心が結ばれる。