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「夢の中へ」行ってみたい ありのままに生きる無為自然の境地

夢の中へ(通常盤)

夢の中へ(通常盤)

  • アーティスト:井上陽水
  • ユニバーサル ミュージック
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漫画家・諸星大二郎の短編集「諸怪志異(2)壺中天」に、不思議な壺が出てくる。

不老不死の金丹を作ろうとする者が体内で練った気のエキスを取りに行くため、自分の内部の世界に入るのに使う道具だったが、そうと知らずに入手した骨董品収集マニアの男が迷い込む。

男は、自分の内部の世界で、好きな骨董品に囲まれて「ここは極楽だ」と笑顔を見せるという結末。

これは、ハッピーエンドと言っていいのかと、考えさせられた。

現実逃避で、自分の殻に閉じこもってしまうことの比喩ではないかと思ったからだ。

 

 

同じ作者の「妖怪ハンター」シリーズに「闇の客人」という話があるのを思い出す。

貧しい村の古い祭りを再現しようとしたところ、鳥居が異界への門となって鬼が現れ、騒動が起きるというストーリー。かつて、祭りは、異界への門を開き、村に幸を呼び込もうと行われていたが、禍(鬼)が現れることもあった。

興味深いのは、古老の説明だ。祭りをすると、神隠しに遭う村人がいたといい、「それは、村の暮らしがつらくて、異界に行ってしまう人がいるのだろう」と説く。

これも、現実逃避の失踪だ。神隠しと呼ばれる現象の中には、そんな意図的な失踪もあるのかもしれないと想像させられた。

 

 

つらい現実から逃れたい。束縛や悩みから解放されて自由に楽しく生きたい。

誰もが思うことだろう。

私も思う。

飼っている猫を見て、「猫はいいな。悩みがなくて」と思う。

でも、猫には猫の悩み、つらい現実があるかもしれない。

結局、つらくても現実からは逃れられないのだ。

「飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」(鳥ではないから、飛び立てない─山上憶良「貧窮問答歌」)なのだ。

 

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格闘技漫画の名作「北斗の拳」(原作・武論尊、作画・原哲夫)の登場人物「雲のジュウザ」を考えてみる。

 

「北斗の拳」より。雲のジュウザ

「おれは、あの雲のように、自由気ままに生きる」と言い、自由気ままに生きているように見えたジュウザは、実は、心の中に、失恋という傷を抱えていた。

自由気ままは、失恋という苦しみにとらわれた末の現実逃避だったのだ。

思い人のユリアと再会したジュウザは、現実に目覚める。

ユリアを守るため、強敵のラオウと激闘を演じ、そして、散る。

散る・・・漢(おとこ)の世界を描く、この漫画らしい。

かっこいいと言える。

でも、散らなくてもいいのではないか。

散らないという生き方もあるのではないか。

 

 

井上陽水「夢の中へ」の歌詞がいい。

一部抜粋すると、、、

探し物は何ですか。

まだまだ探す気ですか。

それより僕と踊りませんか。

夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか。

探すのをやめた時、見つかることも、よくある話で。

、、、という。

 


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「それより僕と踊りませんか、夢の中へ行ってみたいと思いませんか・・・って、何、訳の分からないことを?」と冷めた目で見てしまうかもしれないが、これは、「肩の力を抜いて、ありのままで生きたほうがよくないですか?」というメッセージだ。

 

プロレスのレフェリー、ミスター高橋が著書で「人間、緊張している時に、たわいもないことを言われると、フッと、緊張が解ける」と説いていたのを思い出す(どの著書かは忘れた)。

だから、試合前に緊張しているレスラーには、ボディチェックするふりをしながら「今晩、飲みに行こうな。いい店があるんだ」などと話しかけるという。

 

つまり、「それより僕と踊りませんか。夢の中へ行ってみませんか」という歌を聴いて、クスッと笑ってしまって肩の力が抜けたとしたら、それこそが、陽水の狙いなのだ。

「夢の中へ」は、現実逃避ではない。

古代中国の思想家・老子が言う「無為自然」(変に考え込まず、自然体でありのままに生きる)の境地なのだと思う。

 

この境地に達した先人の歌はほかにもある。

例えば、テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌。

「朝は寝床でグーグーグー、楽しいな、楽しいな、おばけにゃ、学校も、試験も何にもない」だ。

 


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この作詞も手がけた「鬼太郎」原作者で、漫画家の水木しげるは、死と隣り合わせの従軍生活を生き抜き、極貧の下積み時代を耐え抜き、この境地に至った。

 

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ご健在の頃、一度だけ取材で話したことがある。

全く、会話がかみ合わなかった。私の質問に、全く予想外の角度から答えが返ってきた。何と言われたかは覚えていない。率直に言うと、何を言っておられるのか、わからなかった。私のような凡人とは思考回路が違った。

老子は、こういう人物だったのではないか、と思ったほどだ。

このレベルには届かないにしても、私も「夢の中へ」、無為自然の境地に近づきたいものだ。

 

今週のお題「行きたい場所」

 

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