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フラメンコ史上最高の歌手カマロン・デ・ラ・イスラ(1950〜1992年)を知るうえでは、三つの視点が欠かせない。
(1)ロマ民族(ジプシー)ならではの歌唱スタイル。「アイヤイヤーイーヤー」「ティリティリティリティリー」といった変な叫び声を多用し、即興性が高い。
(2)伝統と革新のはざまで揺れ動きながら、フラメンコ・ポップとも言うべき音楽に到達した歩み
(3)お互いに刺激し合い、フラメンコに革新をもたらした盟友のギター奏者パコ・デ・ルシアの存在
以下、もう少し説明する。
ロマ民族(ジプシー)のフラメンコ歌手カマロン・デ・ラ・イスラは、気合が十分な時には「アイヤイヤーイー」とか、「レレレレー」とか、「ティリティリティリティリー」とか、変な叫び声を発する。
変な叫び声を発してこそ、ロマ魂に火がつき、本領を発揮する。
1969年のアルバム「アル・ベルテ・ラス・フローレス・ジョラン」は、まさにそれが堪能できる。
カマロンは、歌の名手だった母の影響で、子どもの頃から街頭で歌っていた。
18歳の頃、3歳上のギター奏者パコ・デ・ルシアと出会い、意気投合して、次々とアルバムを共同制作し、伝統的なフラメンコを追求した。
その第1弾が「アル・ベルテ・ラス・フローレス・ジョラン」。
いわば、カマロンとパコのコラボの原点だ。
このアルバムの主役は、カマロン。
カマロンがリードし、パコが支える関係だったことが感じられる。
幼い頃からの猛練習で超絶技巧を身に付けた努力型のパコは、感性のままに歌って、聴く者を惹きつけられる天才型のカマロンに衝撃を受けたらしい。
「技術だけでは人を感動させられない」と気づいたパコは、のちに、チック・コリア、アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリンといったジャズ演奏家と積極的に共演し、情熱のままにつま弾く即興演奏を磨いていく。
1977年までに9枚のアルバムを共同制作した後、カマロンとパコはそれぞれ「新しいフラメンコ」を模索する道へ進む。
カマロンが1979年に放ったアルバム「ラ・レジェンダ・デル・ティエンポ」は、先進的な作品だった。
ピアノやエレキベース、ドラムを取り入れ、フラメンコとジャズやロックとの融合を試みた。
ギター奏者は新鋭のトマティート。
一般ウケしにくいと考えたのか、ロマ魂の発露である変な叫び声は封印した。
当時のパコの作品と比べても、伝統的なフラメンコからの逸脱度が大きいのが、天才型のカマロンらしい。
今では「フラメンコに新風を吹き込んだ歴史的な名盤」と評価されているけど・・・
当時は「これはフラメンコではない」と批判も浴びたようだ。
1981年のアルバム「コモ・エル・アグア」では、パコと組んで、伝統的なフラメンコに近い音楽に回帰し、変な叫び声も復活した。原点の再確認だったのだろうか。
1983年のアルバム「カジェ・レアル」では、変な叫び声を我慢。
代わりにスキャットみたいな歌い方を試したりして、ポップな曲調に合わせ、フラメンコ・ポップ路線のコツをつかんだ。ギター奏者はパコとトマティート。
1986年のアルバム「テ・ロ・ディセ・カマロン」は、変な叫び声を入れつつ、ポップな音楽と調和させ、グロリア・エステファンやジプシーキングスみたいな音楽に仕上げてある。
アルバム「ラ・レジェンダ・デル・ティエンポ」収録の曲「ヴォランド・ヴォイ」も雰囲気は近いけど、変な叫び声があるか、ないかの違いは大きい。
「テ・ロ・ディセ・カマロン」は、カマロンが模索を経て、ロマ魂とポップを両立させた、フラメンコ・ポップの到達点と言える。ギター奏者はトマティート。
フラメンコ・ポップ路線を模索する間の1984年に放ったアルバム「ヴィヴィレ」は、パコとの関係を考えるうえで、興味深い。パコと共演し、フラメンコ・ジャズの趣の音楽だ。
特に注目したいのが、このアルバムのタイトル曲「ヴィヴィレ」。
詳しくは、このアルバムのレビュー記事に書いたけど・・・
パコは、この共演に着想を得て、自作曲「アンダルシアのジプシー」をさらに磨き上げたと考えられる。カマロンは、熱量が高く、変な叫び声を存分に発する。
お互いに刺激し合い、高め合ったことが感じられ、2人のコラボの最高傑作だと思う。
パコがジャズ演奏家と積極的に共演して、ジャズのファンにもその名を知らしめたのに対し、カマロンは、そうしたコラボに消極的だった(ローリング・ストーンズやジプシーキングスからの共演依頼を断った逸話がある)。
さらに、41歳で早世したこともあり、パコと比べると、世界的な知名度は低い。
しかし、フラメンコ界では、より深く愛され、カリスマ的な存在となっている。
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